ノエル・ヒル (初代ベリック男爵)
初代ベリック男爵ノエル・ヒル(英語: Noel Hill, 1st Baron Berwick、1745年4月 – 1789年1月16日)は、グレートブリテン王国の政治家、貴族。シュルーズベリー市長(在任:1778年 – 1779年)、庶民院議員(在任:1768年 – 1784年)を歴任した[1]。
生涯
[編集]トマス・ヒル(1693年 – 1782年6月11日、トマス・ハーウッドの長男[2])と2人目の妻スーザン・マリア(Susan Maria、旧姓ノエル(Noel)、1760年2月14日没、ウィリアム・ノエルの娘)の次男として、1745年4月にロンドンで生まれた[3][4]。家庭教師からの教育を受けた後、1759年4月25日にケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジに進学(1743年ごろに生まれた兄サミュエルも同日に入学[5])、1763年にB.A.の学位を、1766年にM.A.の学位を修得した[4]。1763年3月1日、インナー・テンプルに入学した[4]。
1768年イギリス総選挙でシュルーズベリー選挙区から出馬した[6]。シュルーズベリーでは現職議員である父が1768年1月に不出馬を表明して、代わりに息子を推薦した[1]。もう1人の現職議員で再選を目指した初代クライヴ男爵ロバート・クライヴと選挙協力した上、対立候補のウィリアム・パルトニーがクライヴ男爵にしか敵対しなかったため、ヒルは233票でトップ当選した[6]。1774年イギリス総選挙ではカウンティ選挙区であるシュロップシャー選挙区に鞍替えして当選、1780年イギリス総選挙でも再選した[7]。また、1778年から1779年までシュルーズベリー市長を務めた[1]。
議会では無所属であり、1768年の総選挙に関するジョン・ウィルクスの請願(1769年1月)をめぐり野党に同調したが、同年4月の選挙申し立てでは与党に同調した[1]。グレンヴィル法を恒久法とする法案(1774年2月)では野党に同調して賛成した[1]。ノース内閣期(1770年 – 1782年)では概ね1774年から1779年まで与党に同調したが、1780年から1782年までは野党に与した[1]。シェルバーン伯爵内閣期(1782年 – 1783年)ではアメリカ独立戦争の予備講和条約に賛成、フォックス=ノース連立内閣期(1783年)ではチャールズ・ジェームズ・フォックスの東インド法案に反対票を投じた[1]。
その後は小ピットを支持し、1784年イギリス総選挙では叙爵の内定を得たため立候補せず[1]、同年5月19日にグレートブリテン貴族であるシュロップシャーにおけるアッティンガムのベリック男爵に叙された[3][8]。庶民院議員として議会で演説した記録はなかった[1]。
1789年1月16日[1]にメリルボーンのポートマン・スクエアで死去、20日にアッティンガムで埋葬された[3]。長男トマス・ノエルが爵位を継承した[3]。
家族
[編集]1768年11月18日、アンナ・ヴァーノン(Anna Vernon、1797年3月23日没、ヘンリー・ヴァーノンの娘)と結婚[3]、3男3女をもうけた[1][9]。
- トマス・ノエル(1770年10月21日 – 1832年11月3日) - 第2代ベリック男爵[3]
- ウィリアム(1773年10月21日 – 1842年8月4日) - 第3代ベリック男爵[3]
- リチャード(1774年11月7日 – 1848年9月28日) - 第4代ベリック男爵[3]
- ヘンリエッタ・マリア(1831年1月2日没) - 1793年5月20日、初代アイルズベリー侯爵チャールズ・ブルーデネル=ブルースと結婚、子供あり[10]
- アンナ・マティルダ(1837年4月10日没) - 生涯未婚[9]
- アメリア・ルイーザ(1850年6月6日没) - 生涯未婚[9]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k Namier, Sir Lewis (1964). "HILL, Noel (1745-89), of Tern, Salop.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月27日閲覧。
- ^ Namier, Sir Lewis (1964). "HILL (formerly HARWOOD), Thomas (1693-1782), of Tern, Salop.". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 167–168.
- ^ a b c "Hill, Noel. (HL759N)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ "Hill, Samuel. (HL759S)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b Namier, Sir Lewis (1964). "Shrewsbury". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月27日閲覧。
- ^ Namier, Sir Lewis (1964). "Shropshire". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月27日閲覧。
- ^ "No. 12541". The London Gazette (英語). 8 May 1784. p. 1.
- ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1915). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, the Privy Council, Knightage and Companionage (英語) (77th ed.). London: Harrison & Sons. p. 243.
- ^ Thorne, R. G. (1986). "BRUDENELL BRUCE, Charles Bruce, Lord Bruce (1773-1856).". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年8月27日閲覧。
グレートブリテン議会 | ||
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先代 トマス・ヒル クライヴ男爵 |
庶民院議員(シュルーズベリー選挙区選出) 1768年 – 1774年 同職:クライヴ男爵 |
次代 サー・チャールトン・レイトン準男爵 クライヴ男爵 |
先代 サー・ワトキン・ウィリアムズ=ウィン チャールズ・ボールドウィン |
庶民院議員(シュロップシャー選挙区選出) 1774年 – 1784年 同職:チャールズ・ボールドウィン 1774年 – 1780年 サー・リチャード・ヒル準男爵 1780年 – 1784年 |
次代 ジョン・キナストン サー・リチャード・ヒル準男爵 |
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